「哲学をもつ」と一般的にいう場合、ある固まった態度や見解をもつことを意味している。しかしそれは自分を画一化するようなものだ。
そんな哲学をもつよりも、そのつどの人生が語りかけてくるささやかな声に耳を傾けるほうがましだ。そのほうが物事や生活の本質がよく見えてくるからだ。
それこそ、哲学するということにほかならない。
『人間的な、あまりに人間的な』 フリードリヒ・ニーチェ
ニーチェが言うように、できるだけささやかな声に耳を傾けようと思う。
日曜日、今月11月、2度目の休日であった。そして明日からは12月。凡庸な感想ではあるが、月日があまりにもはやく流れてゆく。
12月9日に期末考査が終わり、そこからNowhere Landまで18日しかない。とりあえず考査が終了したら、チケットの販売を開始する。そして100年会館に行って、打ち合わせをする。そして、あれやこれや、をする。
今は試験勉強に集中しよう。
たとえば、与えられた約束をよく理解して守り続けるためには、充分な理解力と記憶力が必要となる。この理解力と記憶力は、鍛錬されて獲得できる知性の一部だ。
相手に対して、あるいは遠くの誰かに対して同情を持ちうるためには、充分な想像力が必要となる。想像力もまた、知性の立派な一部だ。
こういうふうにして、人間的な倫理や道徳というものは、知性と強く結ばれている。そして知識のない知性というものはありえない。
したがって、何の役にも立たなさそうに見える今の勉強ひとつでさえ、自分が人間としてよく生きていくことの土台となっていくと言えるのだ。
『人間的な、あまりに人間的な』 フリードリヒ・ニーチェ
ニーチェは、こんなふうにも言ってくれている。ありがとうニーチェ。だからしっかり勉強しようぜ。
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